NHK大河ドラマ「真田丸」第14話「大阪」で、いよいよ大阪編がスタートしましたね。
この回から信繁を演じる堺さんの演技が少し変わられたような気がします。
以前は少しおどけたような幼い顔をする場面がありましたが、
厳しい表情が多かった気がします。(まぁ梅の死があった影響もあったかもしれませんが、、)
さて、今回、衝撃的な展開と言えば、徳川家康の家臣
「石川数正(いしかわかずまさ)」の秀吉への出奔ではないでしょうか?
なんせ、数正といえば、家康が幼少時代からの重臣で、徳川家の筆頭家老だったわけですから、、、
日産の取締役・役員クラスの人が、トヨタにトップハンティングされるようなもんです。
軍事機密と知り尽くした数正の出奔は、ドラマでもあの沈着冷静な本多正信も狼狽しながら家康に報告していましたからね。
本能寺の変の後、
家康と共に決死の伊賀越えまでやった石川数正の裏切りは、家康もショックが大きかった事でしょう。
石川数正は家康を裏切り、秀吉の元に出奔した本当の理由はなんだったのか?
実は出奔に関しては、はっきりした事が記録になく定かではありません。
数正は、小牧・長久手の戦い後の調和の交渉役として秀吉に頻繁に会っており、
だんだんと秀吉の魅力に取りつかれた説、
家康の嫡男「信康」の後見人であったが、信康が切腹させられ家康と不仲になった説、
家康の密命により秀吉と外交の為に投降したふりをした説、
秀吉の十八番である恩賞による篭絡にまんまと乗せられた説等々、諸説あります。
ドラマでは、徳川に捕らわれの身となっていた、真田昌幸の弟、真田信尹に調略されて、秀吉の元に出奔した事になっていますが、出奔し逃亡した日は、
1585年11月13日であり、史実では、その頃には既に信尹の家臣になっているので、数正が信尹によって凋落された可能性は限りなく低いと思います。
いずれにしても、徳川軍は、軍制の改革を余儀なくされたとされています。
また、石川数正出奔の報を受けて、上田城攻めを諦め撤退したのは史実通りのようです。
ちなみに
第2話で石川数正の出奔の伏線になるセリフがありました。
家康は、穴山梅雪を信玄の娘婿でありながら武田を裏切った薄汚い男と毛嫌いし、
「わが家臣からは、くれぐれもあのような者を出さぬよう心がけたいものじゃ、のう?」
これに対し石川数正は
「徳川家中は一心同体。心配ご無用でございます!!」と堂々と答えます。
三谷さん、完全に狙った裏切りフラグを立ててましたね。
戦国武将に詳しい視聴者はこのシーンをみて「お前が言うな!」と思ったことでありましょう。
さて、出奔した石川数正ですがドラマでは、有働アナのナレーションで「
石川数正は、その後秀吉のもとで、信濃松本10万石の城主となった」と言っていたんで、穴山梅雪や滝川一益と同様、このままひっそりと退場なんでしょうね。。。
信繁と酒を酌み交わすシーンで、信繁「とりあえず、前に進みましょう!」数正「うん!!」のセリフがなんだか可愛かったです。
序盤からの重要なキャラクターの退場は、ちょっとさみしいですね、、
共通テーマ:テレビ |
nice!(1) |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
編集
コメント 0