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聚楽第落首事件 時系列まとめ 史実はもっとエグかった

聚楽第落首事件 時系列まとめ 史実はもっとエグかった


NHK大河ドラマ「真田丸」第20話「前兆」では、聚楽第の落書き事件が描かれていましたね。
茶々や妊娠して生まれてくる子を揶揄する内容の落書きで秀吉の逆鱗に触れ、多くの罪のない人が犠牲になる、世に言う聚楽第落首事件です。
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今回、落書きが発覚して、秀吉の子が生まれるまでを時系列にまとめました。この事件の日付は、奈良興福寺多聞院主の日記「多聞院日記」と大坂天満本願寺に身を寄せていた山科言経の日記「言経卿記」を参考にしています。


1589年2月25日 秀吉の政庁兼邸宅である聚楽第(じゅらくだい)の南外門の白壁に、何者かが淀殿の懐妊を茶化した内容の落書きをする。
1589年2月28日 警備担当の大名10名が追放処分を受ける。
1589年2月29日 石田三成と増田長盛が追放処分をうけた尾藤道休を匿った本願寺顕如に引き渡しを迫る。
1589年3月 1日 本願寺顕如は尾藤道休と願得寺顕悟(けんご)を自害させ、その首を豊臣秀吉に差し出す。
1589年3月 2日 尾藤道休と願得寺顕悟(けんご)の住宅を取り潰し、2人を匿ったとして家があった町(街区)を焼き払う。
1589年3月18日 番衆17名(事件当日夜に門を警備していた者)の鼻・耳を削ぎ磔にする。
1589年3月19日 尾藤道休の妻子を含む、彼らが住んでいた街区の住民66名を京都六条河原で磔にて処刑する。
1589年5月20日 秀吉、聚楽第にて「金配り」をおこなう。
1589年5月27日 豊臣秀吉の長男、捨(鶴丸)が誕生。


この事件は結構有名で大河ドラマ「軍師官兵衛」でも落首事件が描かれ竹中直人演じるダークサイド秀吉が見られました。
ドラマ「真田丸」では、石田三成と寧が秀吉を諌めた為、罪なき人の殺生は門番17人で終わりましたが、なんだか後味悪い終わり方でした。
天下人秀吉の恐怖政治に繋がっていくまさにタイトル通り「前兆」を匂わせる事件でした。

ドラマ「真田丸」で、今まで秀吉にイエスマンであった石田三成が、信繁を制して死を覚悟して秀吉に諫言するシーンは、今までの三成とはまた一味違った人物像で三成ファンも増えたのではないでしょうか。

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そもん

ドラマとは真逆で古来より石田三成讒言(陰謀)説ってのもあります。

『甫庵太閤記』では、7月5日に石田三成が、1年前に毛利輝元と秀次が交わした誓紙を今になって咎めて、(秀次には謀反心は)「聊以(いささかもって)なかりし」ものの、反逆者の行為に似ていると別の嫌疑を取り上げて言い掛かりをつけてきます。

以後、陰謀の主体者に石田三成を当て嵌めた“讒言説(讒構説)”の筋書きに追随する書物が続出し、寛永年間の作で『太閤記』と同じ頃に書かれた『聚楽物語』では、それぞれの役割分担はさらに明確にされ、物語の中心は、石田三成と秀次の宿老衆とのせめぎ合いであり、田中吉政が三成の謀略によって讒言に協力するように迫られて、吉政が日々子細な報告を繰り返すうちに情報を集めて、三成は「御謀反はうたがいなく候」と秀吉に報告するに至ります。
by そもん (2020-12-31 14:24) 

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