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徳川家康 信長の命により正室は殺害されていた!?

NHK大河ドラマ「真田丸」で徳川家康が浜松城で登場するシーンでは、いつも阿茶局(あちゃのつぼね)が寄り添って子供を躾けるかのように、家康に爪をかんじゃダメとかお茶のおかわりはダメと言ったり、家康の発言や態度にイヤミを言ったりと二人の掛け合いがとても楽しいですね♪
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しかし、テロップにもあるように阿茶局は側室です。側室は跡継ぎを残すために寵愛を受ける存在であって、このドラマのように、側室が常に寄り添い寵愛を受けるのは、正室の立場が軽んじられ、家臣はいい顔をしないと思うのですが本多正信や本多忠勝は、阿茶局が家康の側にいても、まったく気に留めている素振りはみせません。

ドラマ「真田丸」では、まったく家康の正室は登場しませんが、それもそのはず。この時期、家康は正室がいませんでした。実は、信長の命令により家康の正室は殺害されていたんです。家康、36歳の時でした。

家康の正室の本名は不明ですが、一般的には築山殿(つきやまどの)築山御前(つきやまごぜん)と呼ばれています。
1557年に今川家の人質として駿府にいた家康(当時は、松平元信)と結婚し、正室となります。そして1559年に長男の竹千代(松平信康)を産みます。

1560年の桶狭間の戦いで今川義元が討たれた後、家康は今川家を裏切り駿府には戻らず岡崎城に入り、信長と同盟を結び独立を果たします。
1567年、長男・信康と織田信長の長女・徳姫が結婚し、3年後の1570年に家康は浜松城に移りますが、築山殿は息子の信康と共に岡崎城に残ります。
徳姫は、二人の女子を生みますが、男子が生まれない事を心配した築山殿は、元武田家臣の娘を信康の側室に迎えさせます。
結婚当時は信康と徳姫の夫婦仲は良かったようですが、このことがきっかけで二人の仲は冷めていきました。

また、徳姫は築山殿にとって、叔父にあたる今川義元を討った、にっくき信長の娘であり嫁姑の仲もあまりよくなかったようです。
我慢の限界を超えてしまった徳姫は、1579年に父親である信長に「十二ヶ条の訴状」を書き送ります。その訴状の中に信康と築山殿が武田家に内通しているという項目があり、これを見た信長は、家康に2人を殺すように命令します。

信長に逆らうことができない家康は、仕方なく部下に命じて築山殿を斬り殺し、その半月後、信康に切腹させます。
「築山殿殺害事件」に関しては、諸説あり、徳姫のでっちあげ説や信長が徳川の勢力を削ぐ為にやった陰謀説などがあり、築山殿は全くの濡れ衣だったとの意見もあります。しかしながら真相は闇の中です。だまし討ちで背後から斬られたようで、本当に哀れです、、、。

殺害された理由はどうあれ、この後1586年に豊臣秀吉の妹・朝日姫を正室を迎えるまでの7年間は正室はいませんでした。
家康には側室が判っているだけでも15人はいたようですので寂しい思いはなかったと思いますが、、、。それにしても、家康は子供の頃から、波乱万丈の人生を送っていますね。

自分の妻と息子を上司に命令され、信長に絶対に背けない家康、、、果たして、その心中は如何なものだったのでしょうか。

第1次上田合戦 上杉景勝の援軍が老人や子供ばかりには理由があった!!

NHK大河ドラマ「真田丸」第13話「決戦」では、序盤のクライマックスとなる第1次上田合戦が1話まるまる使って描かれましたね。上田城下や二の丸には杭や柵、トラップなど細かく設置されておりNHK制作スタッフ気合いが入りまくりでした。

徳川軍が次々と罠に引っかかる姿を見て、ネットでは「ピタゴラスイッチ」「風雲!たけし城」「ホームアローン」「ドリフ」なんて感想もありました。

さて、番組冒頭で、信繁が海津城に到着すると、直江兼続がかき集めた100人の援軍とは、老人や子供ばかりでした。
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第12話で直江兼続が「真田と手を結んだ以上、すぐにでも援軍を出したいところだが、当家には無理だという事はお分かりのはず。」と信繁に言っているし、

「領内から取り急ぎ戦える者をかき集めました。 屈強な者たちはとうに出払っておりますが、それでもなんとか100名ほど集まりました。」と上杉景勝に言っています。

また、信幸の「上杉からの援軍は? 」の問いに出浦昌相は「あまり期待しない方がよかろう。上杉も今はそれどころではないはず。」と答えています。

実はドラマでは語られていませんが、本当に上杉軍はそれどころではなかったんです。

上杉景勝は、織田信長の死後、秀吉と交流を持ち、1583年の槍ヶ岳の戦いや1584年の小牧・長久手の戦いで秀吉と連携して戦いを行っています。

1584年11月に小牧・長久手の戦いが終了し、徳川家康を臣下にした羽柴秀吉は、徳川側に味方にした諸将の討伐を次々と始めます。

1585年7月に上杉景勝は、真田家の帰順を認めており、翌月の8月に第1次上田合戦(神川合戦)が勃発します。

そしてまさに同時期の1585年8月に、羽柴秀吉は未だ反抗を続けていた佐々成政を征伐する為に越中攻めを行います。(富山の役)
上杉景勝は、秀吉と連携して越中の佐々成政を攻めることになり、上杉軍の屈強の兵士達を春日山城に集めていました。
また、新発田重家との抗争も未だに収まっておらず、こちらの兵も残さないといけない状態でした。
ちなみに、佐々成政と新発田重家は、ドラマでは登場せず、3Dマップで名前だけ確認できます。
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そんな訳で、前述した直江兼続のセリフの通り、上田城に援軍を送ろうにも兵がいなかったのです。真田家もそれを承知して徳川軍と上田合戦に臨んだ事だと思います。

それにしても、兼続の取り急ぎかき集めた、戦える者が老人や子供とは、、、と思いましたが、
調べてみると上杉景勝が北信濃国衆に命令書を出しており、15歳以下の子供と60歳以上の老人に出陣を指示しており、海津城に配置したかは定かではありませんが実際に老人や子供を召集しており史実通りなんです。

ドラマで直江兼続が「急いで集めた者たちだ。どのように役に立つか見当もつかんが、とりあえずお預けする。」と言ったときは、戦闘につかえそうもない人をとりあえず100人かき集めただけじゃないかよ~と思いましたが、ドラマの裏にそのような事情があった事が後で判り納得しました。

兵がいなくとも従属した際の約束を守る、上杉景勝なりの義を示したんでしょうね~

その後の直江兼続が信繁に「ご武運お祈り致す。ニヤリ」を言った時、ついにクールな兼続がデレたと思ったのは私だけではないでしょうね。
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石川和正 秀吉にトップハンティングされた本当の理由は!?

NHK大河ドラマ「真田丸」第14話「大阪」で、いよいよ大阪編がスタートしましたね。
この回から信繁を演じる堺さんの演技が少し変わられたような気がします。
以前は少しおどけたような幼い顔をする場面がありましたが、
厳しい表情が多かった気がします。(まぁ梅の死があった影響もあったかもしれませんが、、)


さて、今回、衝撃的な展開と言えば、徳川家康の家臣「石川数正(いしかわかずまさ)」の秀吉への出奔ではないでしょうか?
なんせ、数正といえば、家康が幼少時代からの重臣で、徳川家の筆頭家老だったわけですから、、、

日産の取締役・役員クラスの人が、トヨタにトップハンティングされるようなもんです。

軍事機密と知り尽くした数正の出奔は、ドラマでもあの沈着冷静な本多正信も狼狽しながら家康に報告していましたからね。

本能寺の変の後、家康と共に決死の伊賀越えまでやった石川数正の裏切りは、家康もショックが大きかった事でしょう。
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石川数正は家康を裏切り、秀吉の元に出奔した本当の理由はなんだったのか?

実は出奔に関しては、はっきりした事が記録になく定かではありません。

数正は、小牧・長久手の戦い後の調和の交渉役として秀吉に頻繁に会っており、
だんだんと秀吉の魅力に取りつかれた説、
家康の嫡男「信康」の後見人であったが、信康が切腹させられ家康と不仲になった説、
家康の密命により秀吉と外交の為に投降したふりをした説、
秀吉の十八番である恩賞による篭絡にまんまと乗せられた説等々、諸説あります。

ドラマでは、徳川に捕らわれの身となっていた、真田昌幸の弟、真田信尹に調略されて、秀吉の元に出奔した事になっていますが、出奔し逃亡した日は、1585年11月13日であり、史実では、その頃には既に信尹の家臣になっているので、数正が信尹によって凋落された可能性は限りなく低いと思います。

いずれにしても、徳川軍は、軍制の改革を余儀なくされたとされています。
また、石川数正出奔の報を受けて、上田城攻めを諦め撤退したのは史実通りのようです。

ちなみに第2話で石川数正の出奔の伏線になるセリフがありました。

家康は、穴山梅雪を信玄の娘婿でありながら武田を裏切った薄汚い男と毛嫌いし、
「わが家臣からは、くれぐれもあのような者を出さぬよう心がけたいものじゃ、のう?」
これに対し石川数正は「徳川家中は一心同体。心配ご無用でございます!!」と堂々と答えます。
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三谷さん、完全に狙った裏切りフラグを立ててましたね。

戦国武将に詳しい視聴者はこのシーンをみて「お前が言うな!」と思ったことでありましょう。


さて、出奔した石川数正ですがドラマでは、有働アナのナレーションで「石川数正は、その後秀吉のもとで、信濃松本10万石の城主となった」と言っていたんで、穴山梅雪や滝川一益と同様、このままひっそりと退場なんでしょうね。。。

信繁と酒を酌み交わすシーンで、信繁「とりあえず、前に進みましょう!」数正「うん!!」のセリフがなんだか可愛かったです。

序盤からの重要なキャラクターの退場は、ちょっとさみしいですね、、


矢沢頼綱 チート過ぎると話題に! しかし史実はもっと凄かった!!

NHK大河ドラマ「真田丸」第10話「妙手」は、矢沢頼綱(やざわよりつな)が大活躍した回でしたね。
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ドラマが始まった当初、武田氏が滅亡した後、真田昌幸が信長に味方につく賭けにでると決めた時、
わしは一族の棟梁であるお主に従うのみじゃ。お主の父親は家督を継いで間もない信玄公に、賭けた。そして真田の礎を築いたのじゃ。伸るか反るかは、当家の家風である」ときっぷの良さを示し、

真田家が無事に織田家家臣になった後、沼田城と岩櫃城を織田家に差し出さなければならないと昌幸が
申し訳なさそうに説明した時は、落胆を隠せないながらも、昌幸を気遣いながら
「あれ(沼田城)が上野で最も大事な城だと信長が認めたという事じゃ。むしろ鼻が高いわ」と気丈にも笑って語っていたので、良識のある、物分かりの良いお爺ちゃんのイメージでした。

が、第10話の矢沢頼綱は、ガラッとイメージが変わって登場しました。

まず、真田信幸が沼田城に行き、北条へ沼田城を明け渡すよう説得にいくと
「そもそも亡き御屋形様(武田信玄)の命を受け死力を尽くして我らが手に入れた城ではないか!
どうしても渡すというならば今すぐわしを殺せ!」と信幸を追い返し、

次に、北条の使者が来て、沼田城を明け渡しを求めるやいなや、槍で使者を突き殺してしまう始末。

分からず屋の偏屈じじいにキャラが変貌しています。

これに激オコの北条家は大軍で、矢沢頼綱が守る沼田城を攻撃するんですが、徳川家康と同盟した昌幸は、沼田城に援軍を送ることができません。

しかしながら、頼綱はよく戦い、北条軍はなかなか城に近づく事ができず、結局、信繁の策により、
北条軍は沼田城攻略を一旦諦め撤退するという展開でした。

まず、使者を切捨てたシーン、さすがにフィクションだろと思い調べた所、本当に1583年7月に北条の使者を成敗しちゃったようです。しかも史実では3回も使者を殺しちゃってます。さすがに北条氏政も堪忍袋の緒が切れちゃったのかドラマで「沼田城にいる女子供まで根絶やしにせよ!」と言うだけの事はあります。


矢沢頼綱は、信濃国小県郡真田郷を治めていた真田頼昌(さなだよりまさ)の三男として生まれました。
真田幸隆(さなだゆきたか)の弟であり、昌幸の叔父、信幸、信繁の大叔父にあたります。

真田郷の隣に接しており敵対していた諏訪一族の矢沢家へ養子に入り、矢沢頼綱と称するようになります。

武田信玄時代から、常に真田家を支え、ドラマと同様に幾度となく北条軍が沼田領に侵攻しては、城を守り抜いています。

1585年以降は、息子の真田三十郎頼幸(やざわさんじゅうろうよりゆき)に家督を譲ったと推定され、
1597年5月7日に亡くなりました。(享年80歳)

北条軍を少ない手勢で何度も撃退する姿は、ネットでもチート過ぎると話題になっており、
ゲーム「信長の野望」でも矢沢頼綱の能力値は結構高いです。


さて、来週は序盤のクライマックス第一次上田合戦が描かれるかと思いますが、矢沢頼綱がどのようなチート級の活躍をするのか楽しみです。

室賀正武 「黙れ、小童!」もう聞けない 昌幸暗殺未遂事件の真相

NHK大河ドラマ「真田丸」第11話「祝言」は、衝撃的な展開で終わりました、、。

あの「黙れ、小童(こわっぱ)!」で一躍時の人となった、信濃小県郡の国衆
室賀正武(むろがまさたけ)」が、徳川家康に焚き付けられて真田昌幸を暗殺しようとしますが、
返り討ちにあい、壮絶な最後を遂げてしまいました。
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ドラマ「真田丸」では、放送開始から常に真田昌幸といがみ合っていましたが、第9話で初めて
意見が一致して、ともに信濃の為に手を取り合い共闘するものだと思っていたので、この展開には
もうビックリです。!

さすがに、室賀正武による真田昌幸暗殺未遂事件は、フィクションだろうと思って、調べてみたら
史実でもほぼ同じような展開だったので、さらにビックリ!

室賀正武(むろがまさたけ)は、信濃国小県群(ちいさがたぐん)を治めていた有力国衆です。
同じく真田家も小県郡の国衆で、千曲川をはさんで、北側を真田家、南側を室賀家が支配していました。

天正壬午の乱が終わった後、真田昌幸は小県郡の平定に取りかかります。真っ先にターゲットに
なったのは室賀正武です。奮闘むなしく1583年10月に、敗戦濃厚の室賀正武は真田昌幸に和議を
申し入れ、しぶしぶ真田家の家臣となります。

一方、徳川家康は、1584年3月に羽柴秀吉と激突します(小牧・長久手の戦い)。戦いはこう着状態
となり東の守りを厚くする為に家康は北条との同盟をさらに強固なものとしたいと考えていましたが、
北条は徳川との和睦の条件である沼田領の引き渡しを真田昌幸は頑として拒否し続けていました。

そこで、徳川家康は、真田家傘下に不満を持っていた室賀正武に真田昌幸暗殺を命じます。
しかしながら、室賀正武の家臣のほとんどが昌幸に調略されており、暗殺計画は昌幸に筒抜けでした。

暗殺計画を察知した昌幸は、上田城で行われる囲碁の観戦を口実に室賀正武を呼び寄せ、返り討ちに
して、室賀正武は無念の死をとげます。

史実とドラマの展開は、ほぼ同じですね。違いはというと、ドラマでは、室賀を呼び寄せる口実が、
囲碁の観戦ではなく信繁の祝言に変えられています。

しかしゲームではあるまいに、暗殺なんて簡単にできるものではないと思うのですが、、、よく家康は暗殺など命じましたね。

それだけ沼田領の件で、真田に対して腹に据えかねていたのでしょうか。
それにしても、鉄砲玉として家康に使われた室賀正武の最後は、なんとも哀れでした。

ドラマ「真田丸」で室賀正武を演じたのは、西村雅彦(にしむらまさひこ)さんです。西村さんと言えば「古畑任三郎」シリーズで人気を博しましたが
1996年に放送された大河ドラマ「秀吉」では徳川家康を演じていました。主人公が秀吉でしたので
西村さんは徹底的に黒い家康を演じ、怪しさ100%でした。

そして今度は、内野聖陽さん演じる徳川家康に暗殺を命じられるとは、、キャスティングの妙ですね。


ともかく、これにて室賀正武はドラマから退場になります。室賀正武が登場して「黙れ、こわっぱ!」がいつ炸裂するか、毎週楽しみに見ていましたが、
次回から、もう見れなくなるわけでなんだか喪失感いっぱいです。西村雅彦さんの演技に脱帽です。
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歴史にも名を残さないマイナーな国衆の一人をここまで丁寧に描いた三谷さんも凄いですね。
西村さん、出演お疲れ様でした!!

あれ?もう上田城完成? 戦国時代に重要な大戦を二つも素っ飛ばした?

NHK大河ドラマ「真田丸」第10話「妙手」で徳川家康に築城をお願いしていた上田城が、
第11話「祝言」で早くも完成しました。そしてその上田城にて真田昌幸が室賀正武を返り討ちで
惨殺しています。

第10話~第11話の状況を時系列で整理しますと

1583年3月 真田が上杉家の虚空蔵山城を攻撃 ⇒ 第10話
1583年4月 上田城築城開始 ⇒ 第10話
1583年7月 矢沢頼綱 北条使者成敗 ⇒ 第10話

1584年7月 室賀正武 上田城にて惨殺 ⇒ 第11話


武田家滅亡から天井壬午の乱が終結まで(第1話~第9話)は、1582年2月~1582年10月に発生した
出来事を随分と丁寧に話が進みましたが、10話と11話で一気に時間が進みましたね。

実はこの空白の期間に、日本の歴史にも重要な二つの大戦が発生しています。


それは、「槍ヶ岳の戦い」と「小牧長久手の戦い」です。


槍ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)は、1583年4月に本能寺の変によってこの世を去った
織田信長の権力と体制の主導権をめぐり、羽柴秀吉率いる約50,000と織田家最古参の重臣である
柴田勝家率いる約20,000が、近江伊香郡の賤ヶ岳付近で激突した戦いです。

この戦いは織田家臣の勢力を二分する激しい戦いでしたが、秀吉が勝利し、破れた柴田勝家は4/24に居城である北ノ庄城で自刃しました。
これ以降、羽柴秀吉が織田信長の後継者として地位を固めることになりました。

ちなみにドラマ「真田丸」に登場した織田四天王の一人、滝川一益は、柴田勝家側につき伊勢国の
長島城にて籠城しましたが7月に降伏し、所領を全て没収され、出家しました。


小牧長久手の戦い(こまきながくてのたたかい)は、1584年3月に発生した、羽柴秀吉率いる
約100,000と織田信雄・徳川家康連合軍率いる約30,000が激突した戦いです。

兵力的には、秀吉軍が圧倒的に有利でしたが、地の利を生かした家康連合軍が善戦し、二人の戦いは
8ヶ月にも及ぶこう着状態となりました。最終的に秀吉と織田信雄が和議を結んで、織田信雄の勧めで
家康も秀吉と和議を結び、戦いは終わりました。


ちなみにドラマ「真田丸」に登場し、槍ヶ岳の戦いに敗れ出家した滝川一益は、秀吉に召集され、参戦しますが家康に蟹江城を包囲され、降伏します。

また、織田家臣で鬼武蔵と異名をとる森長可は、既に傘下に入っていた秀吉側で参戦。中盤戦の
羽黒の戦いで家康に大敗してしまいます。雪辱に燃える長可は、池田恒興と共に三河岡崎への奇襲作戦を秀吉に提案します(長久手の戦い)。この戦いで森長可は井伊直政勢の鉄砲を浴びて戦死します。


以上、とても重要な戦いがありましたが、ドラマでは一切描かれず、有働アナによるナレーションも
一言もありませんでした。
槍ヶ岳の戦いは、織田家臣同士の後継者争いなので、描かれないのは、まぁわかるんですが、
小牧長久手の戦いは、秀吉VS家康ですからね~
家康の「秀吉が攻めてきた~っ」て、あたふたする姿を見てみたかったです。

第10話の終わりに、家康が西からの秀吉の動きが気になり、誰が味方で誰が敵になるか大名の名前が
入った札でシミュレーションしてましたけど、札には、柴田勝家の名前がありましたので、あの場面は、まだ槍ヶ岳の戦い以前と考えられます。
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脚本家の三谷さんは、本能寺の変は高速で終わるし、山崎の戦い、清州会議についてはナレーションで済ませるほど、織田家や秀吉の動きに関しては、かなり端折ってましたが、今回も思いっきりがいいですね。

第12話では、事後報告と言う形で、ナレーションで、小牧長久手の戦いは語ってくれるのでしょうか、、、。興味津々です。


【追記】
「真田丸」第12話「人質」の3Dマップとナレーションで、小牧・長久手の戦いの事をサラッと
終わらせていましたね。やはり真田とは関係ないとバッサリとスルーされました。
案の定、槍ヶ岳の戦いに関しては、一切触れず、柴田勝家のしの字も出てきませんでした。
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本能寺の変から徳川・北条の和睦まで、「天正壬午の乱」時系列のまとめ

NHK大河ドラマ「真田丸」第9話「駆引」は、真田昌幸が徳川家康の味方につき、
北条家と手を切ったと思ったら、徳川家と北条家があっさり和睦しちゃいました。

ドラマの終盤で、徳川家康と北条氏政のおじさん同士の熱い抱擁には笑いました。

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さて、信長の死後、空白地となった旧武田領(甲斐・信濃・上野)で繰り広げられた
戦いを「天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)」と言います。

参戦した大名は、徳川家康、北条氏直、上杉景勝、その他、真田昌幸や木曽義昌等
旧武田家家臣らも加わった、長野県、山梨県、群馬県、静岡県と非常に広い範囲で
繰り広げられた戦役でした。


多くの武将が参加した戦いの為、戦況が複雑化し、駆引き、裏切り、人質となんでも
ありのカオス状態でした。

真田家も生き残りをかけ、大名達に様々な、腹黒い駆け引きを行っていました。

ドラマ「真田丸」を見ていても動きが複雑で流れが速くて判りにくかった為、
天正壬午の乱を時系列でまとめてみました。


1582年 6月 2日 本能寺の変 織田信長死亡 ⇒  第4話
1582年 6月 2日 穴山梅雪 一揆に殺害される ⇒  第5話 
1582年 6月 4日 徳川家康 伊賀越えルートで岡崎城に帰り着く ⇒ 第5話
1582年 6月 6日 森長可 信濃・海津城へ退却
1582年 6月13日 羽柴秀吉 山崎の戦いで明智光秀に勝利 ⇒ 第6話 
1582年 6月16日 北条軍 上州倉賀野に侵攻 ⇒ 第6話
1582年 6月18日 河尻秀隆 一揆に殺害される
1582年 6月18日 森長可 海津城を脱出
1582年 6月18日 春日信達 森長可の川中島撤退を妨害
1582年 6月19日 北条軍 神流川の戦いで滝川一益に勝利 ⇒ 第7話
1582年 6月19日 滝川一益 箕輪城へ退却 ⇒ 第7話
1582年 6月20日 春日信達 上杉景勝に従属を申し出る
1582年 6月20日 真田昌幸 岩櫃城と沼田城を奪還 ⇒ 第7話
1582年 6月20日 滝川一益 箕輪城を脱出 ⇒ 第7話
1582年 6月21日 滝川一益 小諸城に到着 ⇒ 第7話
1582年 6月24日 上杉景勝 川中島に進軍 長沼城に到着
1582年 6月27日 滝川一益 小諸城を依田信蕃に引き渡す
1582年 6月27日 清州会議
1582年 6月28日 滝川一益 福島城にて木曽義仲に人質を引き渡す ⇒ 第7話
1582年 6月29日 真田昌幸 上杉家に臣従 ⇒ 第7話
1582年 7月 2日 徳川家康が浜松城より甲斐に向け出陣 
1582年 7月 9日 真田昌幸 北条家に臣従 ⇒ 第8話
1582年 7月12日 北条軍が碓氷峠を越えて信濃小県群に進軍 ⇒ 第8話
1582年 7月13日 春日信達 海津城外で磔の刑に処される ⇒ 第8話
1582年 7月14日 北条軍が川中島に進軍 千曲川を挟んで上杉軍と対峙 ⇒ 第8話
1582年 7月19日 北条軍が川中島を撤退 ⇒ 第8話
1582年 8月 1日 北条軍が信濃国諏訪郡に進軍 ⇒ 第8話
1582年 8月12日 徳川軍と北条軍が甲斐国黒駒付近で激突し徳川軍勝利(黒駒合戦)
1582年 8月22日 木曽義昌 徳川家康に寝返る
1582年10月10日 真田昌幸 徳川家康に従属 ⇒ 第9話
1582年10月19日 真田昌幸 北条氏直に手切れを通告 ⇒ 第9話
1582年10月29日 徳川氏と北条氏が和睦 ⇒ 第9話

※日付は諸説あります。


こうして時系列で並べると、本能寺の変の後は、各大名や国衆の動きが刻々とあるのが
わかると思います。
本当は、この他にも様々な動きがあったのですが、細かすぎる為、省略しました。

確かに、ナレーションで言っていた通りに北条家と縁を切った、わずか10日後に徳川氏と北条氏が
和睦しています。

結局、甲斐信濃を徳川家、上野を北条家が領有するという条件で、和睦が成立したんですが
真田家の領地は、どちらの領地にもまたがる形になってしまいました。昌幸にとっては
大誤算だったようですね。


今後、どのように真田家が生き残りをかけた駆引きを行っていくのか、ドラマでも楽しみです。

「天正壬午の乱」について、色々と調べましたが、こちらの本が非常に参考になりました。
  ↓  ↓


第1話~第10話 ドラマから退場した武将のまとめ

NHK大河ドラマ「真田丸」もあっという間に第10話まで終了し、
本能寺の変のあと、いよいよ真田家の動きも領地も巡って動きが
活発になってきました。

ここで、第1話~第10話まででドラマ「真田丸」から退場した武将達を
復習もかねてまとめてみました。


武田信玄(たけだしんげん)  第2話で退場
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ドラマ「真田丸」は、武田信玄がこの世から去ってから9年経った、天正10年(1582年)の
織田信長が武田領に侵攻する甲州征伐からスタートします。
ですので「真田丸」での武田信玄は亡霊として現れるのみです。

武田勝頼と真田昌幸の前に亡霊として現れた2シーンのみでセリフはありませんでしたが
眼力が凄かったです。

武田信玄を演じたのは、林邦史朗(はやし くにしろう)さんです。NHK大河ドラマで、殺陣や武術指導を務めた殺陣師だそうで、最近知ったのですが、2015年10月29日にすい臓がんの為、76歳で
亡くなられたそうです。まさか今作が遺作になるとは、、、 合掌。


武田勝頼(だけだかつより)  第2話で退場
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武田家が滅亡するきっかけを作ってしまった、悲劇の信玄の息子です。
木曽義昌から始まり次々と家臣が寝返り、追いつめられる姿はあわれでしたね。

天目山の戦いを丁寧に描いていたのには、脚本家の三谷さんの勝頼への愛を感じました。
偉大すぎる父・信玄の亡霊に語りかけながら切腹するシーンは哀愁が漂いました。

武田勝頼を演じたのは、平岳大(ひら たけひろ)さんです。父は俳優の平幹二朗、母は女優の
佐久間良子という芸能界のスーパーサラブレッド。最近は顔つきがお父さんに似てきましたね。

ちなみに、父の平幹二朗はドラマ「武田信玄」で信玄の父親・ 武田信虎を演じていました。
決してこの配役は偶然じゃないでしょうね。
平岳大さんの勝頼は第2話で死んでしまったので、早くも退場になっちゃいましたね。
もうちょっと見たかったな~


小山田信茂(おやまだのぶしげ) 第2話で退場

武田勝頼を生き残るために裏切り、そのことを織田信忠から不忠者と激怒され、処刑された悲劇の武将です。

もし、武田勝頼が小山田信茂の提案を聞かずに、当初予定通り真田昌幸が待つ岩櫃城に行っていたら、
歴史はどうなってたでしょうね。武田家が滅んだとしても小山田家は生き延びたかもしれません。
そして、小山田信茂の名を地に落とすことは無かったかもしれません。

小山田信茂を演じたのは、温水洋一(ぬくみず よういち)さんです。小物感いっぱいで、いかにも裏切りそうな人相だったので、関所を閉めて武田勝頼を通らせないようにした時は、あ~やっぱりと思っちゃいました。

そのあと、織田信忠の元に参上し、ドヤ顔で城と兵士を差し上げますと言ったのに、信忠から不忠者扱いされ、斬首されるのが嫌で駄々をこねて引きずられていく演技がなんともこっけいでした。
でもやっぱりこの人こうなる運命だよね~と思ってしまいました。


織田信長(おだのぶなが)  第4話で退場
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もう説明の必要がない戦国武将のラスボス。全国統一まであと一歩というところで本能寺でクーデターにあい無念の壮絶死。もし助かっていれば、間違いなく今の日本とは違った日本になっていたでしょうね。

ドラマ「真田丸」で驚いたのは、本能寺の変が1分近くで終わった事ですね。信長は一切登場せず、
ナレーションが「信長が死んだ」と語り、信長の甲冑が崩れ落ちるシーンだけでした。大河ドラマで、
様々な本能寺の変がありましたが、ここまで端折ったのは初めてではないでしょうか。
武田勝頼の最後をあれだけ丁寧に描いたのと対照的な最期でしたね。

織田信長を演じたのは、吉田鋼太郎(よしだ こうたろう)さんです。ブーツを履いての信長登場シーン、かっこよかったです。
そして、フリルがついたシャツを着ており、恰好がリア王っぽくて、シェイクスピア俳優の吉田さんをリスペクトした演出だったのでしょうか。

しかし、真田丸での吉田鋼太郎さんの出番はあまりにも少なすぎて、なんだか贅沢な使い方でしたね。
まぁ、真田家と織田信長の接点は殆どなかったので、これはこれで新鮮でしたけど、吉田鋼太郎さんの
演技もうちょっと見たかったです。


明智光秀(あけちみつひで)  第4話で退場
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主君である信長を本能寺で討ち、すぐに秀吉に山崎の合戦で敗北&自害し、その後の歴史をかき回した
キーマン。もし本能寺の変が発生していなかったら、真田家のその後も大きく変わっていたでしょう。

ドラマ「真田丸」では、信長と同じく、あまりにもあっさり本能寺の変が終了し退場。その後の
山崎の合戦のシーンも自害するシーンもなし。本当に潔い演出ですね。

明智光秀を演じたのは、岩下尚史(いわした ひさふみ)さんです。初登場シーンは、今までの明智光秀のイメージと全然
違くてびっくり。おネエキャラっぽくて、信長にボコボコにされて不気味に笑ったときは、
ちょっとキモイ人に思えました。信長も後ずさりしてましたよね。

岩下尚史さんは、俳優としてまったく経験がないのに印象的な演技をしてたと思います。今後もドラマにオファーがくるかもしれませんね。


織田信忠(おだのぶただ)  第5話で退場
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織田信長の息子で正当な家督継承者でありながら、本能寺の変で父・信長と共に明智光秀に討たれて
しまいました。ドラマでは、二条城で信忠が自刃する最後がきっちり描かれていました。織田信長の
甲冑が崩れるシーンとは対照的です。このあたりも演出家の三谷さんのこだわりが見られますね。

織田信忠を演じたのは、玉置玲央(たまき れお)さんです。大河ドラマは初出演だそうですが、
吉田鋼太郎さんと同じく舞台で活躍されている俳優さんで、演技力は抜群でした。
今回は、早々の退場でしたが、違う大河ドラマで出演して見てみたい俳優さんです。


穴山梅雪(あなやまばいせつ)  第5話で退場
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穴山梅雪は武田勝頼とは親戚関係でありながら徳川家康に寝返り、武田家滅亡のきっかけを
作りました。そして、本能寺の変の後、徳川家康と伊賀越えの途中、家康と別ルートで別れ
農民に殺されてしまいますが、こちらもナレーションのみで、あっさり退場しました。

穴山梅雪を演じたのは、榎木孝明(えのき たかあき)さんです。過去の大河ドラマにも数多く出演しています。
ちなみに「真田太平記」で樋口角兵衛役を演じて、真田幸村役の草刈正雄さんと共演しています。
このキャスティングは、三谷さんなりの「真田太平記」へのオマージュなのかもしれません。

しかし、大俳優である榎木さんが、勝頼を裏切ったにっくき悪者役とはビックリです。
予備知識なく、第1話を視聴した人は、ほくそ笑みながら徳川へ降るシーンには驚いたのでは
ないでしょうか。

そして伊賀越えでは、家康に「自分は腰痛持ちの為、別ルートで」と言い訳がましく述べ、
山中へ消えていき、そのままナレーションの説明でひっそりとフェードアウト。吉田鋼太郎さん同様、贅沢な使い方でした。


服部半蔵(はっとりはんぞう)  第5話で退場

一般的に忍者のイメージが強いですが、実際に忍者として働いたのは初代のみで、今回登場した
服部半蔵は2代目で、槍を使って戦う武士だったそうです。

今回のドラマでも史実通りに武士らしい恰好で登場しました。あちこち抜けているキャラでしたが。

服部半蔵を演じたのは、ハマカーンの浜谷健司(はまたに けんじ)さんです。お笑い芸人という事で、ちょっと
とぼけた服部半蔵でしたね。伊賀越えでは「全力で押し通ります!」と服部半蔵を先頭に
家康一行が敵を払いのけながら駆け抜けるシーンは完全にコントでした。

さて、服部半蔵は史実ではこの後も天正壬午の乱、小牧・長久手の戦い、小田原征伐と活躍するのですがお笑い担当なだけに、第5話のみで退場ではないかと思っています。
佐助との忍者対決なんてのがあるとドラマ的には盛り上がるかもしれませんが、史実とはかけ離れますからね。


森長可(もりながよし)   第6話で退場
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織田家臣の「鬼武蔵」の異名を取る猛将でした。甲州征伐での軍功により信濃国川中島四郡を与えられ
海津城主となり、休む間もなく上杉攻めの為、柴田勝家と共に越後に侵攻し、攻略まであと一歩というところで本能寺の変が発生し、越後国を撤退します。
ドラマでは出浦昌相以外の信濃国衆が森長可を裏切って扇動した一揆勢と闘いながら、命からがら信濃を脱出してきました。

森長可を演じたのは、谷田歩(たにだ あゆみ)さんです。信長演じた吉田鋼太郎さんと同じく、シェイクスピア劇を得意とする舞台出身の俳優さんです。身長が183cmあり、目がギョロッとして、「鬼武蔵」のイメージにぴったりだったと思います。
ドラマで信繁達と遭遇した時、キレて切りかかるのではとハラハラでした。

森長可はその後、無事に自領にたどり着くのですが、ドラマ的には真田家とはこの後、関わりは薄いと思うのでこれにて退場かと思います。視聴者の再出場の要望が多ければまた登場するかもしれませんね。


滝川一益(たきがわかずます)  第7話で退場
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織田四天王の一人に数えられ、関東方面軍を信長に任されるも本能寺の変の後は、北条軍に負け、清州会議に出席できず、その後も坂を転がるように転落人生を歩む事になるちょっと不運な武将です。
ドラマでは、信長が討たれた事も知らずに、のんきに真田昌幸に温泉の話とか、北条と戦っている間に、昌幸に沼田城を乗っ取られたり、お人好しな武将として描かれてました。

滝川一益を演じたのは、段田安則(だんだ やすのり)さんです。大河ドラマ「秀吉」でも滝川一益を演じました。その時は、北条に負けた後、白髪になりげっそりして清州城にやってきたのが印象的でした。

「真田丸」での滝川一益は、北条に敗れた後、ナレーションが「結局、滝川一益は清須会議には間に合わなかった。羽柴秀吉の台頭により力を失い この後、二度と信州に戻ることはなかった」と言っているので、おそらくこれで退場じゃないでしょうか。有働アナにナレーションでフェードアウトさせられる武将がまた一人追加されました、、、。


木曽義昌(きそよしまさ)  第7話で退場
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武田信玄が亡くなった後、勝頼を裏切った武将の一人です。第1話で名前だけ出てきましたが、第7話で初登場し、伊勢に撤退する滝川一益を木曽で通せんぼし、人質を滝川一益から預けられ、一益は、なんとか木曽を通過することができました。

最初は人質をたてにする完全な悪役キャラでしたが、人質から信繁のババ様(おとり)を見つけてからは
ババ様に頭が上がらず、ビンタされ説教される演技は、なんだか可愛らしいおっさんでした。

木曽義昌を演じたのは、石井愃一(いしい けんいち)さんです。19歳の時に映画「男はつらいよ」の寅さん役で有名な渥美清さんの弟子だそうです。また「真田丸」の重要な舞台である群馬県沼田市出身というのも運命的ですね。

木曽義昌はこの後の天正壬午の乱でも、様々な動きがあるのですが真田家とはあまり関わりは薄いと思うのでこれにて退場かと思います。


春日信達(かすがのぶたつ)  第8話で退場
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父親は武田四天王の一人として数えられる高坂弾正です。父から海津城代を引継ぎますが武田氏滅亡後は、森長可の支配を受けます。その数か月後に本能寺の変が発生した際、春日信達は、信濃国衆と共に美濃へ撤退する森長可の撤退を妨害します。

その後は、上杉景勝に臣従して再び海津城を任されます。ドラマでは、真田昌幸の調略を受け、北条氏直からの起請文を握らせ、油断した所を真田信尹に小刀で刺殺され、濡れ衣を着せられ上杉景勝から磔の刑にされるというちょっとかわいそうな展開でした。

春日信達を演じたのは、前川泰之(まえかわ やすゆき)さんです。元々ファッション雑誌でモデルを務めただけあって、とにかくスタイルがいいですね。プロフィール見ると身長が186cmあり、ドラマで、真田信繁と並ぶと、信繁が子供に見えるくらいの身長差でした。ちなみに堺雅人さんの身長は172cmで、どちらも42歳です。

前川泰之さんは、第7話と第8話のみの出演でしたが、最後は、裏切られ磔にされ、予備知識なしにドラマを見た人はこの展開に驚き、かなり同情された事でしょう。



以上が、1話~10話までに退場した武将の紹介です。この中でもっとも印象的な退場は、織田信長かな~あれだけ、高速な本能寺の変はなかったですし、、。
あと、悲劇という事では、春日信達の退場ですかね。騙されて非業の死を遂げるシーンは、ちょっと後味悪い感じでした。


長文になりましたが、ご覧いただきありがとうございました。

直江兼続 眼光鋭くクール!!「天地人」の妻夫木兼続より史実に近い!?

NHK大河ドラマ「真田丸」第8話「凋落」は、今までのコメディさが薄れ、
シリアルな展開で先が読めずハラハラドキドキしながら見てました。
(あ、小田原のヤンキー北条氏直の演技は見ていて笑ってしまいましたが、、、)


そして、終盤の春日信達の調略の大どんでん返し。脚本家の三谷さん、よくもまぁこの展開考えた
もんです。


さて、これまでちょこちょこと上杉勢が出てきていましたが、今回は北条軍との戦いという事で
第8話では、結構長く、上杉勢が画面に出てきましたね。


上杉勢の中で特に注目したいのが、直江兼続です。初登場の時からとても気になっていました。

まず、凛とした正座した時の姿勢がいい!そして眼光は鋭く、どんな策略も見透かされそうな
感じです。

あと、低いけどよく通る独特の声が、ネットでも話題となりイケボ(イケメンボイス)って呼ばれているとか。


2009年の大河ドラマ「天地人」で、主人公の直江兼続を妻夫木聡が演じましたが、
この時の直江兼続は、義と愛をテーマに描かれており、妻夫木聡の甘いマスクにより、ちょっと気弱で心が清らかな直江兼続像だったように思えます。制作側も兜の「愛」を全面的に推しだしてましたね。


しかし、直江兼続には、冷徹と思われるような「閻魔様への手紙」という逸話(エピソード)が
あるんです。


ある時、直江兼続の家臣が五助という下人とトラブルになり、その五助を無礼討ちする事件が
起こりました。

殺された五助の遺族たちが、無礼討ちする程のイザコザではなかったと直江兼続に訴えます。

兼続が実際に調べてみると、遺族の訴えの通り、家臣に非があるようなので、慰謝料を支払うように
命じます。しかしながら遺族は「お金は要らないから五助を返して」と抗議します。

兼続は「死人は生き返らないのだから、慰謝料で納得してほしい」と遺族を説得しますが、
遺族は応じないばかりか、騒ぎを拡大させます。

すると兼続は「よしわかった。しかしあの世から引き取るための使いがいないので、そなたらに
行ってもらう」と言うや否や、遺族の首を次々と刎ね、河原に晒しました。

そして兼続は、晒し首の横に立札を立て、閻魔大王宛に
「五助が不慮の出来事により命を落としたため、遺族が本人を返してと主張しています。つきましては
遺族らを使いとして、そちらに送りますので、五助を返して頂けますようお願いします。」
という手紙を書きました。


この逸話は、ダーティーな直江兼続を表してますが、第8話で、直江兼続が春日信達の遺体を
貼りつけにして見せしめにするシーンと被って、「天地人」より「真田丸」のほうが直江兼続の
イメージは史実に近いのではないかと思います。


さて、クールでどことなく影があり、妻夫木聡版よりも史実に近い直江兼続を演じるのは、
村上新悟さん。
仲代達矢が主宰する「無名塾」出身の実力者俳優さんです。
沢山のの実力ある俳優を輩出しているので入塾審査の倍率はとてもに高いそうで「劇団の東大」
と称されるくらいの狭き門だそうです。

村上新悟の眼力やイケボはこの塾で鍛えられたのでしょうね。

そして、村上新悟さんは意外にも大河ドラマの常連さんなんです。

2007年 「風林火山」 春原惣左衛門役
2013年 「八重の桜」 大山格之助役
2014年 「軍師官兵衛」 大谷吉継役
2015年 「花燃ゆ」 久坂玄機役
2016年 「真田丸」 直江兼続役


今回の真田丸で、5回目、しかも4年連続です。大河に出演するのは1作でも難しいのに4年連続で
起用されるのはやはり「無名塾」で鍛えられた演技力にあるんだと思います。


ドラマでは真田家はこれから、上杉家と結びつきが強くなるので、直江兼続もより多く画面に登場するのではと思います。

果たして、愛の文字が入った兜をかぶったクールな直江兼続が見れるのか、ちょっと期待。

今後もドラマ「真田丸」の冷徹で直江兼続に目が離せません。


【追記】
第10話「妙手」で、兜姿の直江兼続が登場しましたね。
妻夫木聡版では「愛」の文字の大きさがちょっと強調しすぎではと思っていましたが
村上新悟版ではバランスの良い大きさだと思いました。イメージ通りで
とてもかっこいい兜姿の直江兼続でした!!
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北条氏政 細かすぎて伝わらない!? 汁かけ飯のシーン 三谷流の解釈

NHK大河ドラマ「真田丸」第8話「凋落」で、北条氏政の汁かけ飯を食べるシーン、
第1話に引き続き、またまた出てきましたね。実はこれ、歴史好きには有名な
エピソードがあるんですよ。

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北条氏政は、稀代の英雄 北条早雲から数えて4代目の当主ですが、
第3代目の当主で父親の北条氏康と一緒に食事をしていた時のこと、氏政がお汁を一度、
ご飯にかけたんですが、汁が少なかった為、もう一度汁をかけ足したそうです。

それを見た、父親の氏康は「毎日食事をしていて、ご飯にかける汁の量も量れんとは、、、
北条家も自分の代で終わりか、、、」と嘆いた逸話があるそうです。


要は、汁かけ飯の量も量れない者に、領国や家臣を推し量ることはできはしないという解釈です。

父の氏康に比べて、はるかに器の小さい氏政を示すエピソードですね。


但し、この逸話は後世の創作で、後北条家を滅亡に追い込んだ氏政の暗愚さを
強調する為に作られたのではないかと言われています。


ドラマ「真田丸」では、北条氏政は、暗愚な武将として描かれてはなく、

第8話での氏政が汁かけ飯を食べるシーンでは、

北条家臣の板部岡 江雪斎(いたべおか こうせつさい)が、
「我軍の勢い、とどまるところを知りませぬ!」
「この勢いをもってすれば、上杉はおろか、徳川も物の数ではございますまい!」と
北条軍が碓氷峠を越え信濃に快進撃を続けている事を北条氏政に報告すると、

「先を急ぐな」
「食べる分だけ、汁をかける。」
「少しずつ 少しずつ」
「わしの食べ方じゃ」
「北条の国盗り ゆっくり味わおうではないか。」

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汁かけ飯エピソードを北条の急がない領土拡大に解釈にして、北条氏政を策略家として
演出しています。なるほどね~ 脚本家の三谷さん、やっぱ凄いですね。


一般的には
【3代目氏康=名将 4代目氏政=愚将】で、北条が没落し滅んだとの認識かと思いますが、

三谷さん脚本の真田丸的には
【4代目氏政=名将 5代目氏直=愚将】で、北条が没落し滅んでいくのではないかと思います。


今後、秀吉の台頭、そして小田原攻めで、どのように北条家が滅んでいくのかドラマから
目が離せないです。


「真田丸」で北条氏政をサイコパス的に演じる高嶋政伸の演技も最高ですね。

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個人的には、大河ドラマ「太平記」で高嶋政伸が演じた足利尊氏の弟、足利直義も好きです。
足利兄弟の最後の別れのシーンは、もう涙なしでは語れません。

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